私、藤本敦子。
バスに乗っていたら急に頭の中が忙しくなったので、こちらに書こうと思う。
もっと、こういう言い方があったんじゃないか、
もっと上手く立ち回れたんじゃないか、
なんであんなこと言っちゃったんだろう、
そういう上手くできない自分を責めてしまいそうになった。
それと同時に人と関わることの楽しさとまでは行かないけれど、人と関わる意味というのかな、
少しだけ気づきがあった。
父が不動産を通して自分と折り合いをつけていったように、私もまた、人と関わっていくことで自分を知り、
その上手くできない自分と向き合い、折り合いをつけていくのかもしれない。
私は、人と関わるのが苦手。
それゆえ、人を避けてきた。
人を前にすると、相手のペースに飲まれそうになったり、なんて返事を言えば良いか、咄嗟の判断が要求される。
それに対応できなくて自分を責めてしまいそうになる。
面倒だからとひとくくりにして、臭いものに蓋をするように避けてきたんだと思う。
だってそこには、出来ない自分、情けない自分、弱い自分、見たくない自分がいるから。
その自分を見ないように、見ないために、その出来ない自分を克服するように努力に逃げていたのだと思う。
その時はそれが精一杯の自分に出来ることだったから、それはそれでよくやったと思ってるよ。
だけど、それは、努力をすればするほど、『自分はダメなんだ』と言っていることになる。
ダメな自分をなんとかしようとしていたけれど、そうじゃなかった。
そのダメダメな自分も『ここにいて良いよ、』と自分に言ってあげる、認めてあげる。
『出来なくて悲しいよー、惨めだよー、みっともないよー、さみしいよー』
この感情を真っ向から受け止めてあげる。
感じてあげる。
すると成仏していく気がする。
だから言葉に出して言うんだ。
『あー、出来なくて悲しいー、つらい、誰か助けて〜』
きっとこれは、小さな自分が誰か(きっとお母さんなんだな)に受け止めてほしかったことなんだよね。
でも、『もう大丈夫、もう私は、あなたは、許されている。』
そして『私は、あなたは、もう十分すごい』
