私、藤本敦子。
今日はベートーベンのピアノソナタ32番1楽章を勉強した。
大半の演奏を聞くと違和感を抱くようになった。
誤解が生じているような感じ。
まぁ、それは良いとして、私が今日感じたこと。
順次進行する旋律、主題の関係性、あらゆる要素が絡み合い因果関係をつくっているということ。
例えば10小節からの進行はショパンのノクターン27-2にも見受けられる。
ベートーベンは色んな作曲家に影響を与えているのが容易に想像できる。
思っているよりも規模が大きくて、少しおふざけもあったり、フェルマータを一つとっても、楽節を仕切るためのものではなく新たなものへと向かう準備のために書かれているとしか思えない内的なフェルマータであったり。
衝動性、独創性。音には、いや、記号にまで命があるような印象。
全てのものに対して愛情を感じる。
そして偶然の産物のような動機、彼の無意識にもつ神秘性をみた。
あと視覚的効果。
ソナタ31番Op.110にも言えることだけれど、各声部を区別し、視覚的に描写しようとしているのが伺える。
この時期はもう耳が聞こえなかったからなのか、彼は視覚優位だったのか、どうだったのだろうか???
疑問が尽きない。
一つわかったこと:ベートーベンは繊細に連続5度をさけていたり許していたり、とても細部にこだわっていた。
この繊細さが日本人がベートーベンを得意とする人が多いのかもなと考察している。(沸点の低さも)
そして最後の左手のうねうねしている所。
自分のルーツを解き明かす為に鏡で自分を観察している様子。
二分音符が4つずつの周期で繰り返され、厚い雲で覆われている様子。
と同時にまだ情熱が常にうごめいている。
この4つの周期は後に出てくる保続音ドの先取りなのだろうか。
そうだとすると、雲が層になり形を変え地球を包み込むような印象を受ける。
つまりはベートーベンの慈愛に満ちた一面も見受けられるわけで。
最後の最後、ついにこの音型は崩れるわけだけれど、真の平穏はまだ訪れない。
ここでは変格終止を元に上昇する音型。
これは繰り返し降り注がれる霧の間に差し込む光。
エネルギーは物質から精神的、神秘的なものへと変容を遂げているのが左手の音型から伺える。
神聖な世界への切望。
2楽章へと続く。。。