ご無沙汰です

私、藤本敦子。

大変ご無沙汰しておりました。

私の身に起こっていたことを書いて行こうと思う。

色んな方からのアドバイスもありすごく楽になったので忘却録もかねて。

渦中にいる時に書いたメモを頼りに。

〈私の身に起こった出来事についての考察〉

その出来事とは、客観的にみても『心中お察しします』というような事。

私の心は紙一枚で繋がっているような状態だった。

だけど、転んでもただでは起きない私は、この出来事の真っ只中にいる時に聞こえてきた、おそらく未来の私からの声だろうと思われる声に従い、回復するまでのことを書き記した。

これは、おそらく今後の私の貴重なデータになるので時期がくるまで保留しておくことにしようと思う。

相手とのTELでのこと、私は久しぶりに感情が大きく乱れた。

(厳密にいうと、ショック状態に陥った。)

私は物理的に今できる自分を守るために出来ることをやり、あとは日にちとともに回復するのを待った。

冷静に観ることが出来るようになり、何でこんなに反応するのかを考える。

一つ目は確実に相手の悪意であること。

これは相手の問題だから私は距離を置けば良いだけ。

もう一つは、私の持っている前提。

反応するということは、自分でも相手の言うことを認めるところがあるから反応するのだろうかと思いみてみることにする。

ここから炙り出された私の前提は『やっぱり私は文脈が理解出来ないのかなぁ、やっぱり私はコミュニケーション出来ないのかなぁ、やっぱり私は言葉が理解出来ないのかなぁ、私がおかしいのかなぁ。』。

私は自分でそう思っている所がまだあるから反応したとも言えるけれど、但しこれにはそれ以上に相手が私の中に入ってくるのが強すぎて、こちらの認知に影響してくる圧が強かったため、私の自我が揺らされたまでだ。

だから私が間違っていると思ってしまった。

そして私は自分自身の問題として『文脈、文章が理解出来ない自分』が刺激されたと思い込んでしまった。

私が取り入れるべき幸せになる前提は『理解出来ない時は相手は宇宙人だと思うこと、理解出来ない私が悪いのではないということ、相手は一つしか答えを持っておらず私はたくさんの答えを持ち合わせている等々』

何で今回のようなことが起こるのかと考えたとき、私も私で相手の劣等感を刺激することを言ったのかもしれないけれど、それに反応するのは相手の問題であり、それとは別に相手の自己理解の浅さに対して本人が自分の内面にベクトルが向いていない、つまり自分と向き合うことを放棄していることが原因の一つと考えられる。

人とのコミュニケーションにおいて、起こりうる会話の前提を見てみる。

①I’m OK. You are OK.

②I’m OK. You are not OK.

③I’m not OK. You are OK.

④I’m not OK. You are not OK.

今回の相手との会話のパターンは②、つまり相手は自分が正しくて私が間違っていると思っているパターンだ。

この相手と対峙するとき、私はいつもI’m not OK.に陥りやすい。

私はI’m OK. You are OK.という道を歩んでいる最中なのだから、そこに②のパターンで揺らされたので何事?となったまでだ。

ここで、相手の自己理解が進んでないという前提でいくなら相手はどうなるだろうか。

おそらく自分の言ったこと、やったことで自分の首をしめることになるのは明白だ。

私は自分の絶対的な自我を育てて行く為に相手とは離れることを選択する。

これはお互いの成長のためでもある。

この一連のことを受けて、自分のチカラで自分を守れる為に出来ることを開発している。

ひいては自分だけではなく、人を守り導くためにも使えるものを。

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