私、藤本敦子。
今日は、私の行動力について。
厳密にいうと、行動の原動力について。
ある人から私は行動力があると言われた。
自分では当たり前すぎて、全然気づかなかった。
そこで、何が原動力になっているのか知りたくなった。
というのも、一度燃え尽き症候群と診断され、頑張りすぎたために再起不能になった経験があるので、もっと行動したいけれど少しブレーキをかけている自分がいるのが気になったからだ。
自分が楽になったのでその忘却録として、残しておきたい。
では本題へ。
行動の原動力→自分は何のためにそのことをしていて、何のためにそれをしようとしているのか?
と言い換えることができる。
人のために動こうとしているのか。
いや、違う。
感情で動こうとしているのか。
これも違う。
私の答えは、実にシンプル。
問題解決のためだ。
以前の私の行動の原動力は『悔しさ(感情)』だった。
今の原動力は悔しさからきているだろうか。
いや、違う。
今の行動のブレーキをかけているのは、また前のようにやり過ぎて、燃え尽き症候群になるのではないか、という不安が奥底にあることに気がついた。
過去の経験から、何か自分がやる時に悔しいエネルギーで暴走してしまうんじゃないかという認知がある。
そうなった昔の大変だった体験がある。
ここで、私はどうなりたいのか?と自分に問う。
健康で幸せであること。
さて、問題解決している今の私。
昔みたいに暴走するかもしれないと思っている私に対して何と言ってあげられるだろうか。
→『えっ!?あの時は悔しさが原動力で暴走したでしょ。今は違うよね。結構クールに自分の行動を見つめられているんじゃない?結構大人になってるよね。』
と、ここであることが頭をよぎる。
それは、過去の経験とは別の私の気質。
何事も極端なまで体験しようとするこの気質。
つまり、私は自分の気質にびびっていたのだ。
自分のことを暴れ馬だとすると、私の希望は、この暴れ馬をちゃんと手綱を握って歩いたり、時には走ったりしたい。
今、暴れ馬の認知できるモードとして、
・取り乱しモード
・穏やかモード
・引きこもりモード
・手綱を携え歩いているモード
・過集中モード
つまり、私の人生は暴れ馬モードばかりではない。
一つ、悔しさ(否定的なエネルギー)でことをなそうとする時は、かえって跳ね返りが強いということ。
となると、もう恐れずにそのままで出て行っても良いんじゃないかなと思う。
深いレベルでは、魂の自分が望んで、このような扱いにくい、枠に収まりきらないワタシを選んだのだと思うけれど、生身の敦子というか、3次元を生きている敦子は、何でこんなに扱いづらいんだよ!と正直持たされたものの大きさに必死で抵抗していたけれど、配られたカードで勝負するしかないと、良い意味で諦めることができたこと(手放したこと)が、今の私が出した行動力の源への答えだ。
もう思考の中で処理できない世界へ入って行ったのだと思う。
1+1=2にならない世界。
見えないから怖かったのだ。
自分を超えた世界を信じれるか、信じれないかにかかっている。
もちろん、答えはyes!
この怖さはgoサインだと受け止めることにした。
私の恐れていたものは破壊へのフラグではなかったことが分かった。
結果は大丈夫なのだと納得した。
私はそんな自分を愛そうと思う。