街の中で

私、藤本敦子。

久しぶりの外出。

私の住む街は観光客が多い。

特に外国の方が多い。

外出すると必ず外国の方に出逢う。

私はそれがすごく好き。

私が私で居て良いんだと思わせてくれるから。

人と違い過ぎて苦しんでいた私が、人と違って良いんだよと許可された気がするから。

本当はそんな許可なんて要らないのにね。

日本にいると、どこかでみんな『同じ』、ということが前提にある気がしていて、フォーマットなんじゃないかと思う。

幼稚園、小学校、中学高校、みんな制服を着て、同じ時間に登校して、空気を読んで、人と違うことをするととやかく言われたりなんかして、私はそれがとても窮屈だった。

そして私は高校は自らドロップアウトを選択した。

一方で、外国に行くと色んな人種の人が居て、肌の色や目の色、国籍もバラバラ。

みんな『違う』ということが前提、フォーマットのような気がする。

いつしか私の黒歴史になっていた高校中退ということが、ウィーンで通っていたドイツ語学校で見事に裏返った出来事がある。

『あなたは宝物の経験をしたんだね』。

ドイツ語学校の先生が私に言ってくれた言葉。

自分史をドイツ語で発表したらそう言ってくれた。

私の中では挫折となって足かせになっていたことだったから、拍子抜けした。

でも、私を、敦子を観てくれた気がして安堵した記憶がある。

『不登校は宝物』。

今はそう思える。

一度日本を離れて外国で生活すると、自分という存在、日本という国を少しばかり客観的に観ることができる。

前置きが長くなっちゃったけど、今日は路面電車での一コマ。

ある若者がお年寄りに席を譲った。

そしてそのお年寄りは席を譲ったその子にみかんをあげていた。

それを観ていた外国の方は笑顔になった。

かくいう私も。

ヨーロッパに行くまで、私はどこかでヨーロッパの方が優れていると思い込んでいた。

実際に行って帰ってみると、日本ほど安全で平和で綺麗で、ご飯は美味しくて、それなりに人も優しくて、、、。

こんなに素晴らしい国はないと思った。

(色んな視点で観ると、一長一短あると思う。)

色んな国の人がいる中の『私』という存在。

そこには『みんな違う』という前提があって、私は日本人で、黒髪が私のアイデンティティで、優しさが私のアイデンティティで。

結構気に入っている。

『同じ』という前提か『違う』という前提。

『同じ』という中で生きていける人もいれば、そう出来ない人もいる。

逆もまた然り。

どうやら『違う』という前提で生きる方が私には合うようだ。

路面電車という小さな外国の中で思ったこと。

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