私、藤本敦子。
今日はMozartが弾きたくなった。
ピアノソナタKV315(333)。
実は私はモーツァルトの曲に対して苦手意識がある。
ウィーンにいる時も、これを何とかしたくて解決策を見出そうと勉強したけれど、やっぱり難しいなぁというところに落ち着く。
キャラクターを見つけて会話をするように、オペラやアリアのように、歌うようにと教わった。
そして左手は思っているよりもpで。
スラーやアーティキュレーションも教わった。
でも自分の中で何かしっくりこない。
モーツァルトが観たウィーンは?
ベートーベンが観たウィーンとどう違う?
たくさんの疑問が出る。
どうしてこんなに難しいの?
久しぶりにモーツァルトを弾いた感想は、『何て情報量が多いんだ、イタリア語、歌曲、愛らしさ、大切にされている感じ、dolce…etc』。
そして一番は『テンポが決まらない』。
モーツァルトの楽譜は視覚的にシンプルでスッキリ見える。
ところがどっこい、いざ弾いてみると、その情報量の多さに面食らう自分がいた。
そして『テンポ設定』がモーツァルトの1番の要だとも思った。
テンポで全てが台無しになる感じ。
今この瞬間、今この瞬間、落っこちないように、落っこちないように、『今』という時間を綱渡りしている感じ。
色んな演奏を聴く中でSchwarz Kopfの歌を聴いた。
プリマドンナのような、私の好きな歌手。
モーツァルトはやっぱり歌なんだなとも思った。
何と言ってもルービンシュタイン演奏のピアノ協奏曲23番は格別。
モーツァルトについてのキーワードは『歌、イタリア語、テンポ、…』。
『今』に留まるという視点で言うなら、子供の方がモーツァルトを上手く弾けるというのも納得がいく。
こどもは大人みたいに未来への心配や不安は少ない。
彼らはありったけの自分で『今』を生きているように見える。
今どうしたいのか、今それが嫌なのか、また明日になったら明日の今どうしたいのか。
彼らのタイムライン、時間の流れは『今』に居るんじゃないだろうか。
少なくとも大人よりは。
色々と考えてみるけれど、結果、モーツァルトはシンプル故に難しい。
理屈じゃないんだろうな。。。