プロフィール&ストーリー

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藤本敦子ってどんな人?

・1987年広島県出身

・徳島文理大学音楽学部卒業、専攻科の後オーストリア・ウィーンへ3年間留学、prayner conservatoriumにて研鑽を積む。

・文理大学在学中に第7回ヨーロッパ国際ピアノコンクールin Japanにて金賞、審査員特別賞を受賞。

・これまでに、村崎和子氏、杉谷昭子氏、高橋元子氏、ジュゼッペ・マリオっティ氏、Antoinette Van Zabner氏、Thomas Kreuzberger氏に師事。

・幼稚園→小学校→中学→高校中退(17歳)→卒業(18歳)→マヤ鑑定士(21歳)→大学進学(26歳)→卒業+専攻科(30歳)→ウィーン留学(30歳)→完全帰国(33歳)→現在にいたる

・マヤ鑑定士(2009年〜)

・(有)藤和不動産社長(2023年〜)

・ピアニスト(2歳半〜)

・趣味:ジグソーパズル、お散歩、ボーっとすること、動物と戯れること、領収書整理、知的好奇心を満たすこと

・特技:ネックレスのからまりをほどくこと、微妙な変化を察知する能力、突き詰めること

ストーリー

頑張って更新中。

詳しくは電子書籍へ。

【私の暗黒期】いじめと高校中退、自己否定を繰り返した15年間

中高一貫校に入学し、同時にイジメにあうようになる。

私がいじめられない為の考え抜いた苦肉の策が勉強で1番を取ることだった。

勉強が出来ればいじめられないと思っていた。

完璧主義で生真面目の私は気付けば常に成績はトップ、目標は国立医学部だった。

でも、身体は限界をむかえていて高校2年生で中退する。

それから通信で卒業をし、それからは引きこもる毎日。

当時は精神科に通っており、『燃え尽き症候群』と診断された。

休むしかない、と言われ薬を飲んで眠る毎日。

今日1日を生きるのが辛くて、どうして生きているんだろう、どうして私はみんなみたいにできないんだろう、普通って何だろう、と思っていた。

【転機】マヤとの出会い〜日本の大学〜音楽の都ウィーンへ♪

ひょんなことから外へ出るきっかけがあり、それからは母とお四国へお遍路さんをしたり、神社仏閣へお参りしたり、みるみる元気になっていったある日、知り合いからマヤ鑑定を受けないかと声をかけてもらい鑑定を受けたと同時に今までの大変だった人生の意味が分かった気がした。

鑑定では私の今世の役割、人生のながれ、家族との関係性を見てくれた。

高校生の時以来、もう字も見たくなってえんぴつも持てなかった私が、これを勉強してみたい!!と思いスクールに通う。

鑑定士と講師の資格を取り、延べ鑑定人数は200人を超えていた。

この頃からもう一度ピアノを真剣に勉強したいと思い大学へ行くことを決めた。

26歳だった。

大学4年生のとき、ヨーロッパ国際ピアノコンクールで全国大会大学生の部で金賞、審査員特別賞を受賞する。

それからテレビに出演し生演奏、新聞にも取り上げられた。

そして舞台はウィーンへ。

意気揚々ウィーンへ飛び立ったものの、ドイツ語に悩み、ビザがなかなかおりなくて戦う毎日。

ドイツ語を勉強しに行ったのかビザを取りに行ったのか、生活に慣れるまでかなりの時間がかかった。

私にとって、ウィーンで勉強することはいつもファイティングポーズが必要だった。

そんな中で日本にいる祖母の死を体験し、ビザの関係で当時国外に出ることが出来なかった私は祖母と最期のお別れをすることができず、心はもういっぱいいっぱいでぐちゃぐちゃ、それなのに明日は演奏をしなければならい。

何の為に音楽をしているのか分からなくてなっていた。

【2度目の挫折】

そんな中でコロナのロックダウンをウィーンで体験した。

首相の一言で法律は変わり、目の前の景色がすぐに変わってしまう。

とても怖くて、それまでのストレスから急性胃炎と診断され、日本の大きな病院で検査をした方が良いとのことで完全帰国することを決めた。

日本に帰国して検査をしても、原因不明だった。

『あぁ、またやってしまった』と高校生の時と同じ想いを抱いていた。

【3度目の正直】マエストロとの出会い〜引越し〜起業

完全帰国をして2年くらいしたある日、マエストロに出会う。

私みたいな人間でも音楽やって良いんだと心の底から思った。

私はすごくユニークな所があって、音楽をすることは生きることと繋がっていて、そこに本質というか真理を見つけたくてやっているようなところがあった。

そんな私で良かったんだと、自分のために音楽をしようと一大決心し、現在の地にピアノと共に引越しをした。

その矢先父が亡くなり、父の会社を継ぐことになる。

【ピアニスト✖︎Heimat Method✖︎不動産屋3代目】

家業の不動産屋を継ぎ、マヤでもなく易でもなく、占いでもない、それらを包括したHeimat Methodという独自のカウンセリング法を編み出しこれから展開していく予定。

Heimat MethodのHeimatとはドイツ語で、『魂のふるさと』という意味で、ピアノの恩師、故杉谷昭子氏が私の演奏はふるさとに帰ったような暖かさがあると仰っていたので。

そして、本当の自分自身に出会って一歩前へ踏み出してほしいという願いも込めて名付けました。

ピアニストとしては、初のリサイタルを開催予定です。

不動産屋としても、国家資格を取得するため勉強中です。

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