祖母の面影2

私、藤本敦子。

今日は昨日の続き。

私の祖母は大正生まれで、104歳まで生きた。

私は祖母との思い出の中で強烈に印象に残っていることがある。

それを書いてみたいな。

祖母の危篤の知らせを受けた時、私はウィーンに留学中だった。

すぐに帰国しようと準備をしている時、大家さんの勧めで通っていた教会のシスターに祖母のことを話す機会があり話すと、シスターはフランスのルルドの泉の聖水を渡してくれた。

聖水の付け方をきいて、教わった通り帰国後祖母に付けたところ、何と危篤の祖母は目を覚ました。

俄かに信じ難いけれど、本当のはなし。

信じてくれとは思わない。

だけどそれが私が最期に祖母とお話をするお別れだったのだと後に知ることになる。

次の休暇に帰ってくるからそれまで待っててね、と伝えたけれど叶わなかった。

祖母が亡くなった時、私はウィーンにいてビザの関係で国外に出ることが出来ず最期にお別れが出来なかった。

その次の日に演奏も控えていたのだけれど、もう私の心はぐちゃぐちゃでボロボロで帰りたくても帰れない、でも弾かなくてはならない。

そんな状況だった。

何のために音楽をしているのだろうか、家族の死に目にも会えずこれで良いのだろうかと本当にたくさんたくさん悩んでもがいていた。

結局その何年か後に完全帰国をしたのだけれど、祖母や家族が本当に大切なことを教えてくれた気がする。

私の性格上、親戚付き合いが苦手だから祖母は私を葬儀には来させないようにしてくれたんじゃないかと励ましてくれる人もいたけれど、私の欲しかった言葉はそうではなかった。

何の為に音楽をしているのか、当時の私は音楽にただただ癒されピアノになら何でも話すことが出来ていた幼少期を忘れ、ただただ上を目指しいつしか競争の土台にたっていた。

本当に私の大切にしたいことはそういうものではない。

ただただ純粋に音楽が好きで、目の前の人が大事。

学歴や肩書よりも、その人自身が大事。

本当に私の大切なもの、大切にしたい価値観を祖母は教えてくれたのだと思う。

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