私、藤本敦子。
昨日書いたことの続きというか、何というか、私の視点の源についてかな。
今日は私の過去のお話を。
突然だけれど、私は生死を彷徨ったことがある。
20歳くらいの時だっただろうか。
ご飯が食べられなくなって、点滴で生きていたことがあった。
私、中学生の頃から不登校だったから学校に行きたくなくて、でも親は学校へ行けと言うし、行きたくないのに行かないといけない。
学校で生き抜く為の苦肉の策が勉強で一番を取ることだった。
勉強が出来ればイジメられなくなると思ってたんだよね。
結果一番は取れたけれど状況は変わらず、ストレスが酷くて身体に歪みが色々な症状として出てきてた。
高校を辞めてもなお身体には影響が出ていて、最終的にご飯が食べられなくなっていた。
ある日もうダメだと、フッーと目の前が暗くなってそのあとは記憶がない。
でも目が覚めると、いつもの天井を見ていた。
その時私は何かを諦めたのかもしれない。
もっと勉強してもっと頑張って、もっともっと、っと必死で何かにしがみついていた。
それを手放したのかな、というか、命の危機だったから手放さざるを得なかった。
今当時を振り返って思うと、全てそれで良かったのだと思う。
だってそのまま頑張り続けていたら、もしそのまま勉強をして当時目指していた医学部に合格でもしたら、私はもっともっと苦しんだと思う。
だってそこに待っているのは競争や自分ではどうにも出来ない大きな権力や何かがあるでしょ。
だからこれが私の最善だったんだと今はようやく思えている。
身体を壊してまで抵抗してくれた自分、グッジョブである。
私の学生時代はいつもイジメとの隣り合わせで、普通って何なんだろう、私って何なんだろう、どうして私だけイジメられるんだろう、どうして私だけ上手く行かないんだろう、何で?何で?の連続だった。
だからだろうか、そのおかげで私だけの視点や考え方がある。
そして一度健康を害すると、すごく体調に敏感にもなる。
だから、生きるとか、食べるとか、人間の普遍的なものに目がいってしまう。
考え方も、生き方も。
だからこれからは、私が経験したことやそこで掴んできたこと、私だけの考えをビジネスを通して伝えていこうと思う。
誰かの手助けに、なんてのはおこがましいけれど、補助輪くらいになれたら良いなと思う。
音楽も含めてどんどん自分だけのビジネスをこれから展開していくので、またお知らせしますね!
P.S.今はもう元気で自分のネタになっているくらいなので大丈夫です。
P.P.S.まだまだネタあります。笑
乞うご期待❣️